10年前の夏、OTAKE21610は北を目指した

4日目 そしてお待ちかねのへ

1994年8月26日

列車は定刻に釧路駅到着、釧路市内は霧だった。
昨晩立ちっぱなしだったこともあり、市内観光は断念。
駅で急行「まりも」のヘッドマークなんか撮影しながら時間をつぶす。
(当時急行「まりも」は廃止されていたがヘッドマークだけが駅のホームに展示してあった。)

特急「おおぞら」で帯広へ移動する。
昨晩寝れなかったぶんよく寝た。

帯広で朝食兼昼食になる豚丼を購入、早速食す。
帯広と言えば十勝牛と言う概念があったが、やはり帯広に来たら豚丼をくっとけと言われていたのだった。
ちなみにこの旅のメモに唯一『うまかった』とだけ書いてあるとおり、この度中で食べたものの中で一番うまかった。

当駅始発の特急「スーパーとかち」で札幌にまた舞い戻る。
途中楓駅を通過した際、いつか行ってみたいなと思っていたが残念なことに今年この駅は廃止されてしまった。

札幌で家族へのお土産を買い、ホームに戻りしばし待つ。
午後2時過ぎ、小樽方向から緑色の列車が入ってきた。

札幌発14時9分(当時)、大阪行き寝台特急「トワイライトエクスプレス」だ。
大阪着は翌日の12時39分・・・だったとおもう、実に22時間半の長時間走行列車だ。
早速乗車、今宵のお宿はシングルツイン。
この列車はほとんどの個室が日本海側に配置されているのだが、自分の部屋はその例外だった。
もっとも、ほとんどの時間をロビーカーで過ごしていたので問題は無かったのだが。
三都物語が流れる中、列車は札幌を発車した。

じきに車掌が来て車内改札、個室の鍵を受け取る。
また、食堂車のクルーの方も来られて今夜の夕食の弁当の注文と、明日の朝食の予約をする。
和食が食べたかったが洋食しかなかった(やっぱり5年後リベンジ達成する)。

シングルツインは1人用個室というわけでかなり狭い。
オマケにエキストラベッドが頭上で固定されているので高さもない。
と言うわけでサロンカーのサロン・デュ・ノールに出撃してのんびりとする。
関西までまだまだ20時間以上かかるので同じ事を考えている乗客もちらほら、談笑も弾む。
噴火湾の横をかすめる頃夕食の弁当を受け取る。
「嵯峨野の四季」(1500円)・・・お味は値段の割にはちょっとと言うところだった。
函館の手前の五稜郭駅で向きが変わり、列車は津軽海峡線方面へ。
青函トンネルに入る頃には車掌さんの解説を聞きに来るため沢山の乗客がサロンカーに集まってきた。
もちろん私も弁当を食べた後から再びサロンカーでくつろいでいたのでそのまま参加する。
つい先日聞いた青函トンネルの建設の経緯から小ネタまでいろいろ聞いた後お待ちかねのクイズ大会に突入した。
このクイズ大会の景品はなんとこのトワイライトエクスプレスの乗車証明書。
これは鉄道マニアでなくてもこれは欲しい!!周囲の乗客も俄然張り切る!!。
「第1問 青函トンネルのコンクリートの厚さは?」
・・・75cmだったか90cmだったかかなり惜しい数字でした。
「第2問 青函トンネルは青森、函館両側から掘り始められましたが、
このトンネルが貫通したときどれぐらいずれていたでしょうか?」
・・・1mちょいだったそうです、現代の技術ってたいしたものですね。
「最終問題!!」・・・なにぃ!!。
「私(車掌)は何歳?」・・・正解しました、すごい複雑な気分です。
もちろんこの時の証明書は今でも私の手元に記念として残されています。

イベントも終わり列車は本州側へ上陸、他の乗客も個室に帰って行った。

私は食堂車のパブタイムを利用して夜食をとった後、シャワーカードを購入。
ひとっ風呂あびて寝ることにする。
食堂車で夜食中に青森駅到着、通勤客(?)に覗きこまれたっけ・・・。
自室で浴衣に着替えて横になる。
横になって寝るのは何日ぶりだっけ・・・ZZZZ。

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