これを書いているのは2004年7月である 10年前の夏、皆さんは何をしていたのだろうか? 私は、旅に出た。 私OTAKE21610の好きな列車は ・近鉄 アーバンライナー ・JR東海 ユーロライナー ・JR西日本 トワイライトエクスプレス である。 10年前の夏、この3番目のトワイライトエクスプレスに乗るために私は旅に出る決心をした 両親を説得し、なんとか予算を工面して、駅を駆け回って寝台券を押さえ、悪戦苦闘の旅行代理店で周遊券を作り旅だった一人旅。 OTAKE21610、17歳の夏だった。 1994年8月23日 夜も明け切らぬ午前4時半 今でこそ何度も乗ったことがあるが、五十鈴川駅の始発列車に野rぬの箱の時が初めてだった。 駅に着いたのは午前5時前。まだ自動券売機の電源も入っていなかった。 ホームにあがると4番線には6両の急行と3両の普通が縦列に並んで停車していた。 夜はこんなことになっていたのかと非常にびっくりした記憶がある。 当時は名張行きだった始発電車で松阪まで、ここから大阪に一番早く着ける特急に乗り換える。 乗り継ぎ時間が3分ぐらいしかなくて大急ぎで跨線橋を渡った思い出がある。 近鉄特急にゆられて一路鶴橋へ、大阪環状線に乗り換えて大阪駅を目指す。 この区間は当時は久々に乗る区間だったが朝が早かったのでうとうとしていた。 大阪駅では団体の『ゆうゆうサロン岡山』を撮影したらしい・・というか写真がある(汗)。 その後急行『たかやま』に乗り換えて出発。ここから本格的な旅が始まる。 さて、ここで少し補足しておかなくては行けない。 この時使った切符は今は亡きニューワイド周遊券。 北海道ゾーンのフリー切符と往復の乗車券を組み合わせて作る今の周遊切符に近いものだ。 旅行計画当初は出発地を亀山にして亀山→名古屋→(東海道・東北経由)→中小国(JR北海道の入り口の駅)の切符と 中小国→(日本海側経由)→大阪→天王寺→(関西線)→亀山の切符を組み合わせて作ろうとしたのだが。 出発地は大阪市内、京都市内、名古屋市内しかできないと言われ関西線の経由もうちではできないと言われてしまったのだ。 そこで、ついでに大阪〜東京間の在来線も走破してしまおうと考え、大阪を旅行の出発地に選び、 行きを東海道・東北経由、帰りを日本海側経由にして切符を作ったのだった。 ニューワイド周遊券は往復の経路上は無料で急行自由席に乗車できる。 そのため岐阜県まで乗り換え無しで行けるこの列車に無料で乗れたのはありがたかった。 大阪駅を出たたかやまは新大阪を通過、当時はしなのも通過していた記憶がある。 京都を越え、琵琶湖の眺めに少し感動しながら草津市へ。 当時、南草津駅は建設の真っ最中。いつかはここ(立命館大学)に行けたらいいなぁと当時は思った。 結局その後私は神戸大学へ進学し、その卒業研究の学会での発表までここを訪れることはなかった。 米原を超えて岐阜県に入り大垣駅でたかやまを降りる。 当時はまだ大垣夜行を利用したこともなく、訪れるのは初めてだったので車庫に寝ていた大垣夜行用の165系とかを初めて見た。 ここからは新快速で311系だった。 ぐるっと遠回りしてたどり着いた名古屋では名鉄のブルーライナー(青色の特別塗装のパノラマスーパー)に遭遇した。 その後豊橋、浜松で列車の乗り継ぎ一路静岡方面へ。 金谷では大井川鉄道のSLがいた。・・・が、この前年家族旅行でここのSLには乗っていたりするので久しぶりって感じだった。 静岡駅で昼食兼緩行のために途中下車。 浜松で食べ損ねたウナギを食べ、登呂遺跡を見学して2時間ほど休憩した。 再び東を目指すべく静岡駅のホームへあがると予定より1本前の「富士駅」列車が出発するところだった。 そこまで急ぐこともないとこの列車を見送ったのが不運の始まりだった。 駅のアナウンス「ただいま沼津駅付近で発生した脱線事故のため東京方面は列車の運転を見合わせています」 ・・・なんですと? その辺にいた駅員をとっつかまえて状況を確認してみると以下のような状態になっていた。 ・沼津駅付近で起きた貨物列車の脱線事故のため静岡〜沼津間が不通になっている ・代行バスは富士〜沼津間で走っている、静岡からの代行バスの目処は立っていない ・復旧の目処は立っていない ・静岡駅からから富士まで行く公共交通機関は無い ・新幹線は正常に動いている ・駅の位置関係は (大阪方)←静岡−富士−沼津−三島−熱海→(東京方) 1時間ほど様子を見てみたが事態はいっこうに改善されず、今後の行程に影響が出そうになってきていた。 沼津から東側は列車が動いていることを確認して新幹線の特急券を買いこだま号に飛び乗った。 三島駅の長い連絡通路を抜けて在来線ホームにたどり着くと事態はますます悪化していた。 脱線した列車を復線するためクレーン使うこととなり、そのため熱海ー静岡間が停電、運転できないとのこと。 ・・・三島駅から熱海駅に行く公共機関もやっぱり無い。 ついでに言うとタクシーもいなかった。 泣きたい気持ちで新幹線の特急券を再び購入、新幹線で熱海に移動する。 熱海から先は若干ダイヤこそ乱れていたものの普通に列車は動いていた。 この段階でもまだ代行バスの目処が立っていないらしくその旨の放送が流れていた。 アルファリゾート21を片目に見つつ215系のアクティーに乗車。 田舎者の宿命で2階席におさまり一気に東京へ。 本当なら急行東海で東京入りする予定だったが乗れなかった。 東海道在来線も東京大阪間完乗するはずだったのにできなかったことを悔やんだ覚えがある。 (余談だがこの1年半後、大学受験のため大垣夜行を使用。不通区間通過&165系乗車を果たした) ここからしばらくは記憶にも記録にもない。 どこかで飯を食って上野に移動したはず。 今宵のお宿は急行八甲田。 今となっては懐かしのモトトレインも連結している豪華仕様で10両以上(12両だったか?)あった。 寝台特急鳥海を見送ってからこちらも発車。 自由席は比較的すいていため2人分座席を使用して楽に休むことができた。 2日目へ |